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岡山地方裁判所 平成5年(わ)506号 判決 1996年2月07日

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件の主位的訴因(現住建造物等放火)は、「被告人は、自己所有の納屋を取り壊していたが、作業がはかどらないことなどに憤慨して右納屋に放火しようと企て、平成五年一〇月一五日午後九時ころ、岡山県《番地略》所在の自己所有の右納屋において、これに火を放てば右納屋を焼燬した上、その東側に近接して建てられているA子が現在する自己所有の住宅に延焼することもやむなしと決意し、右住宅台所において、紙箱をちぎった破片をダンボール箱に詰め、その紙片などに天ぷら油を注ぎ、ついで、ガスコンロに点火し、その炎の上に右ダンボール箱をかざしその一部に着火させ、これを急ぎ、前記納屋北側の地上約五八センチメートル位に垂れ下がった庇下に移し置いて、その庇のベニヤ板に燃え移らせて火を放って炎上させ、ほどなく、右納屋東隣りに近接する前記住宅に燃え移らせ、もって、右納屋(木造瓦葺平屋建一棟、建築面積約四三・八七平方メートル)及びA子が現存する住宅(木造瓦葺中二階建一棟、建築面積約一八三・九二平方メートル)を全焼させて焼燬したものである。」というのであり、予備的訴因(重失火)は、「被告人は、平成五年一〇月一五日午後九時ころ、岡山県《番地略》所在の被告人所有の住宅(木造瓦葺中二階建一棟、建築面積約一八三・九二平方メートル)及び納屋(木造瓦葺平屋建一棟、建築面積約四三・八七平方メートル)直近の同納屋の北側部分に接着したトタン屋根の庇の下で、木片、はぜ足(稲藁を干す木)を燃やすため、紙箱の破片や木屑をダンボール箱に詰め、その破片や木屑に天ぷら油を注ぎ、ガスコンロで着火した右ダンボール箱を右木片、はぜ足の上に置いて点火するに当たり、同所付近には紙片が散乱し、また右トタン屋根の庇の裏側にはベニヤ板やフェルト材が付着するなどして火が燃え移りやすい状態にあり、また右紙片、ベニヤ板及びフェルト材は容易に除去することが可能な状態にあったのであるから、このような場合には、あらかじめ、右紙片、右ベニヤ板及び右フェルト材を完全に取り除いた上点火するべき注意義務があるのにこれを怠り、これらを取り除かないで漫然と点火した重大な過失により、右紙片やベニヤ板等に火を燃え移らせた上、前記住宅及び納屋に燃え移らせ、よって火を失し、人の現在しない建造物である前記住宅及び納屋を全焼させて、これを焼燬し、そのまま放置すれば隣接するB居住家屋等にも延焼する危険を発生せしめ、もって、公共の危険を生ぜしめたものである。」というのである。

これに対して被告人は、当公判廷において、自動車の出入りに不便なことなどから前記トタン屋根の庇(以下「本件庇」という。)を取り壊していたところ、本件火災当夜、翌日の農作業の手伝いに泊りがけで来た叔母A子から、被告人の娘が翌日孫を連れて手伝いに来ると聞き、取り壊し中の本件庇の下やその周辺には廃材等が散らばっており、孫に危険であったから、廃材等を片付ける目的で、本件庇の下でこれらを焼却しているうち、その火が前記住宅(以下「母屋」という。)や納屋に燃え移ったものであり、母屋や納屋を燃やすつもりはなかった旨供述し、弁護人は、主位的訴因(現住建造物等放火)については、被告人には放火の故意がなく、また、予備的訴因(重失火)については、公共の危険の発生がない上、被告人の点火から母屋及び納屋の焼燬に至るまでのプロセスが解明されていないため、結局何が過失行為であったのか特定できず、したがって、いずれの訴因についても被告人は無罪である旨主張するので、以下順次検討する。

二  主位的訴因(現住建造物等放火)について

そこで検討するに、証拠によれば、被告人が本件庇の下で廃材等を燃やしており、その火が原因となって本件火災が起ったものであることは明らかであるから、まず被告人方及び本件庇の構造、本件火災直前の右庇やその周辺の状況並びに火災発生に至るまでの被告人の行動を確定することとする。

1  被告人方及び本件庇の構造並びに本件火災直前の庇やその周辺の状況

平成五年一〇月一八日付実況見分調書、Bの司法警察員に対する供述調書及び被告人の公判供述によれば、以下の事実が認められる。

被告人方敷地はほぼ正方形で、本件火災前は敷地中央北側に母屋が、東南角に離れが、南西角に車庫がそれぞれあり、母屋西側に約一・八メートルの距離を隔てて納屋が建てられており、納屋北側に納屋と母屋とに接続して本件庇が造られ、さらにその北側は幅約四〇センチメートルの溝を隔てて小高くなった被告人方竹薮が続いていた。

本件庇の形状及び構造は、上底である西側が二メートルくらい、下底である東側が四メートルくらい、南側の納屋及び納屋と母屋との間の通路と接する部分が五ないし六メートルくらいの台形の屋根部分をその北端部を五本の柱で支えるものであり、その柱は、北側溝に沿ったコンクリートの基礎の上に横木を置き、その上に、ほぼ等間隔で建てられた高さ約一・八メートル、太さ約一〇・五センチメートルのものである。右柱の上に枠組みとして、横木を一本渡し、その上に梁四本を乗せて南北に等間隔に渡し、右梁が納屋に接する部分を納屋北側の柱の高さ約二・五メートルのところに切り込みを入れて差し込み、釘で固定してある。この枠組みの上に東西に母屋木(太さ約九センチメートル)を五本くらい、さらにその上に南北に垂木(太さ約四・五センチメートル)を約四〇センチメートル間隔で渡し、母屋木と垂木の交わる部分全部を釘で打ちつけて固定していた。垂木の上に野地としてベニヤ板(一メートル×二メートル、厚さ一二ミリメートル)を張り詰め、二〇ないし三〇センチメートルの間隔で垂木に釘で打ちつけ、その上に雨の掛かる部分には油を敷いたフェルト材を敷き詰め、その上にトタン板を張っていた。

そして、被告人は、本件三日くらい前から、自動車の出入りに不便なため、本件庇を取り壊す作業にかかった。最初、庇北側の柱を電動丸ノコで切り、二日前には右柱五本全部を取り外した。すると庇が垂れ下がるので、脚立二個の上に道板を渡してそれを支え、枠組み及び母屋木に丸ノコで切り込みを入れてそれらを取り外した。(なお、母屋木を切った際、庇北西角部分約二平方メートルも取り外した。)次に、右庇の脚立で支えている部分より北側の垂木とベニヤ板とトタン板を一緒に丸ノコで東西に三か所切った。トタン板は南北に約四〇センチメートル間隔で突起があるので、その突起の上部は切れ残り、したがってトタン板自体は突起の部分のみで繋がっている状態だった。そして、庇北半分の垂木と垂木の間のベニヤ板を手で引き剥がし、バール等で垂木を引き抜き、ベニヤ板が無くなった部分のフェルト材も取り外した。この結果、庇北半分については、垂木、ベニヤ板及びフェルト材は殆ど取り除かれた状態となったが、一部取り残した垂木もあり、その付近には多少ベニヤ板とフェルト材が残っていた。一方、庇南半分については、ベニヤ板も垂木も取り外されていなかった。また、本件庇の下の地面には剥ぎ取ったベニヤ板等の廃材が散乱していた。

ところで、右に認定した事実、とりわけ、火災発生直前の本件庇の状態については、被告人の公判供述によって認定したものであるが、被告人は捜査段階においては、本件庇北半分にはベニヤ板や垂木など燃える物はほとんど残っていなかったとの供述はしておらず、また、Cも本件火災当日の午前中に本件庇が地面に接する辺りでその裏側が燃えているのを見つけて消火した事実がある旨供述しているので検討するに、まず、被告人の公判供述及び一件記録によれば、被告人は捜査段階において本件庇の取り壊し状況について系統立った供述を求められた形跡はうかがわれず、被告人が捜査段階においてベニヤ板等可燃物がほとんど残っていなかったと供述していないことは、可燃物が残っていたことを示すものでは決してない。また、Cが本件庇のベニヤ板が燃えているのを消したとの供述についても、燃えていたその部分にベニヤ板が残っていたことを示すものにすぎず、右認定と矛盾するものではない。

他方、右に関する被告人の公判供述は、特にその第一六回公判において、当裁判所からの質問に対して答えたもので、その真摯な供述態度(被告人がこれほど真面目に供述したのはこの時が初めてである)や、その供述内容の具体性、迫真性に照らして、十分信用できるというべきである。

2  火災発生に至るまでの被告人の行動

被告人、A子、C及びD子の各公判供述によれば、被告人は、平成五年九月中頃から玄関入口を木戸からサッシに替え、土間左側の壁を塗り替え、台所と土間の間の壁を建具に替え、土間の中にタイルを張り、台所は以前の土間を板張りに替え、壁と天井を張り替え、火事の前日には台所板間に張る絨毯について業者と話をしてカーテンを発注し、本件火災当日の午前中には納屋の南側及び西側の壁並びに東側の壁の一部を塗った上、台所の電気工事をしてもらっており、これらの工事には相当多額の費用をかけていたことが認められる。また、本件火災発生の直前の状況については、被告人及びA子の公判供述によれば、被告人は、A子から翌日被告人の娘が孫を連れて手伝いに来ると聞いたことから、孫に危険がないように、本件庇の下に散乱している廃材等を焼却しようと考え、その作業にとりかかったが、庇の下や溝の中が水で濡れていて火付きが悪かったことから、借りていたはぜ足一束を溝の中に置き、その付近に廃材を寄せ集めた上、台所で、ダンボール箱(縦、横、高さいずれも約三〇センチメートルのもの)に紙屑や廃材等を入れ、それに天ぷら油を注いでガスコンロで点火し、これを右はぜ足の上に置いて(平成五年一〇月二八日付実況見分調書添付現場見取図第七図では納屋北側三・四メートル、物置西側三・五メートルの地点、公判供述[第九回公判調書]では、右地点よりやや東よりの地点)、はぜ足の上やその周辺に置いた廃材を燃やし始めた。垂れ下がっている庇とダンボール箱の上の端との間隔は三〇センチメートルくらいであった。被告人は、火の付いたダンボール箱をはぜ足の上に置いて以後は、その場から二・五メートルないし三メートル離れて庇の下の母屋西側壁の前にある草刈り用カッターの西側に立ち、母屋北側の水道から引いたホースで母屋及び納屋の各壁並びに本件庇の南半分の裏側に水を掛けながら火の様子を見ていた。火元から約一メートル以上離れた右カッターの上には紙箱が一個あったが、この辺りには水は掛けなかった。そのうち、A子が、被告人に対して、夜遅いから焚き火をやめるよう注意したため、被告人は消火することとし、持っていたホースで燃えていた廃材等に水をかけようとしたが、水の出が悪く、A子に頼んで別の水道用ホースを持ってきてもらったが、これも水が出なかった。そこで、A子が隣家のC方に消火器を借りに行ったが、家人と連絡がとれず、消火器の所在がわからなかったため手ぶらで戻ってきたが、その間に前記紙箱に火が付き、A子が戻ってきたときには、本件庇南半分の裏のベニヤ板にも火が付いていた。以上の事実が認められる。

3  ところで、被告人は、捜査段階において、納屋及び母屋に対する放火の故意を認める供述をしているが、その供述の要旨は次のとおりである。

平成五年一〇月初め頃から、自宅北側にある竹薮を造成して宅地化した上、納屋を取り壊して、その跡地と竹薮跡地にかけて倉庫を建てようと計画し、その工事の準備として納屋北側の庇部分から取り壊すことにし、放火した日の二、三日前から庇の取り壊しにかかっていた。

本件火災当日である一〇月一五日も、朝から庇の横木や垂木の一部を取り外して、少しずつ危なくないように焼いていた。ところが、酒を飲みに行っているうちに、本家の叔父Cが折角燃やしていた廃材に水を掛けて火を消してしまった。また、農協にコンバインを持ってくるように言っておいたのに持って来ず、自動車会社(甲野自動車)に来るように言っておいたのに来ないことなどで腹が立ち、気がむしゃくしゃしていた。

夕方、叔母A子が手伝いのために泊りに来てくれ、自分は叔母の持ってきてくれた寿司を食べたり、酒を飲んだりしており、その時来た甲野自動車の人と話をした。しばらくして、また納屋の庇の北西の端の所で垂木やベニヤ板などの廃材を燃やし始めたが、なかなか思うように燃えなかった。そのうち、昼間叔父に火を消されたことや農協や自動車会社の応対に腹が立っていたことなどから、気がむしゃくしゃしてきて、納屋を取り壊すだけでも大変だと思い、どうせ取り壊すつもりであり、いっそのこと庇も納屋も火を付けて燃やしてしまうのが早いと思った。納屋には米櫃や噴霧器等を置いており、二階には藁を沢山置いていた。納屋を燃やせば母屋に燃え移ることは判っていたが、母屋をどうしても燃やしてしまおうという気持ちまではなく、燃えれば仕方がないという気持ちだった。

午前九時前ころ、母屋の玄関左側の部屋に叔母A子がおり、叔母が見ていない時に、納屋を燃やすためにダンボール箱に紙箱を破って入れ、それに天ぷらをした残り油を二、三合振り掛け、火が付きやすいようにダンボール箱の底を少し破り、台所のガスコンロの火の上にダンボール箱を近づけて火を付け、それを納屋の庇の北側の真ん中辺りの端の溝の上付近に置いた。燃えやすいように庇のベニヤ板を剥がしたりして火の上にかざし、火に近くなるようにした。そのうちベニヤ板に火が付き、燃え出したので、これで納屋は燃えてしまうと思った。庇は段々燃えており、納屋の本体の方にも燃え移り出し、母屋にも燃え移るだろうと思った。そのうち母屋のミソビヤの窓から火が母屋に燃え移った。

自分は表側の車庫の所に行き、納屋と母屋が燃えるのを見ていた。近所の人が来てくれており、その人に「燃やしよんじゃ。消さんでええ。」などと言った。

4  しかしながら、右供述には、以下の疑問点があり、到底これを信用することができない。

まず、右供述によれば、本件放火の動機は、庇の取り壊しがなかなか進まず、これに加えて、昼間叔父に焚き火を消されたことや農協がコンバインを持ってこないこと等への不満があったからというものであるが、それだけの理由で直ちに納屋に対する放火の意思及び母屋が燃えることの認容へと結びつくことは非常に唐突というほかなく、全く理解し難いばかりか、放火しようとすることは、それまでに多額の費用をかけて母屋を改造したり、納屋の壁を補修していたことや、孫に危険がないように廃材等を処分しようとしたとの意思とも相反するものである。また、前記認定の納屋の壁を補修していた事実に照らすと、納屋を取り壊すことは将来の構想に過ぎず、具体化した計画ではなかったとの被告人の公判供述こそ信用すべきであり、どうせ取り壊すのだから燃やしてしまおうと考えることはあり得ないというべきである。さらに前記認定の納屋と母屋との位置関係からすると、納屋が燃えれば母屋も燃えることが明らかであるにもかかわらず、納屋は積極的に燃やすが、母屋は燃えても仕方がないとの異なった認識をもったことも極めて不可解である。

以上のことからすると、動機の点において、被告人が激情にかられて納屋への放火を意図し、母屋の焼失を認容していたと認めることは極めて不自然、不合理である。

また、右供述における犯行についても、仮に被告人が納屋を燃やしてしまおうと思ったのであれば、納屋の二階には燃えやすい稲藁があったのであるから、通常はこれに直接火を付けようと考えるはずであるのに、本件では、納屋から三メートル以上離れた場所であり、かつベニヤ板等の可燃物をほとんど取り除いてある庇の北端の下に火の付いたダンボール箱を持って行って火を付けるという方法を取っており、これは放火の着火方法としては極めて迂遠な方法であって、着火する可能性があまりなく、不自然というべきである。さらに、前記認定のように、火災になる前から被告人自らホースで母屋や納屋の壁及び庇の裏側に水を掛け、その水の出が悪くなると叔母に頼んで別のホースをもってきてもらい、さらには叔母にC方に消火器を借りに行かせるという行為自体放火の実行行為とは相入れないものである。

さらに、本件庇の北半分は、前記認定のとおりベニヤ板が殆ど取り去られていたと認められるのであるが、被告人の自白によれば、その場でベニヤ板を引き剥がしてダンボールの火にかざしたとされており、事実に反する。

そればかりか、本件庇の状況に関する被告人の捜査段階における供述経過や本件捜査方法等に照らすと、本件においては、捜査官が被告人の弁解に虚心に耳を傾けず、逮捕当初から被告人が少なくとも本件納屋に放火した犯人であるとの著しい予断を抱いて取り調べに当たり、その結果、被告人の真意に反して自白を得たことを強く疑わせるものがある。すなわち、被告人の逮捕当初の供述である平成五年一〇月一五日付調書には、被告人が本件庇を取り壊し中であったとの記載がないままに、「トタン屋根の下側手の地に張ってあるベニヤ板が燃えだし」とあり、同月一六日付調書にも、「本件庇を壊すことにして、その柱等はとり除き、柱や廃材等を一か所に集めて焼いておった」とあるものの、ベニヤ板の状況については全く触れられておらず、「これをはがし」「直ぐにベニヤ板に火がうつり、納屋の方へ火の手が行き火事になった」とあって、本件庇にベニヤ板が張ってあるのを当然の前提とした取調べがなされ、その前提に立って被告人の本件納屋に対する放火の自白が得られている。そして、同月二〇日付調書からかなり具体的に本件庇の取り壊し状況についての記載が現れるのであるが、最終的には、右一五日付、一六日付各調書における自白の線が維持され(なお、その後は本件母屋に対する放火の未必的故意の有無が問題とされているが、これについては被告人の自白に最後まで動揺がある)、ベニヤ板は全く取り去られていないものとされ、そのため、本件庇のベニヤ板の有無については、捜査官による問題意識をもった事実関係の解明がなされておらず、したがって、本件庇が取り壊し中であったことが判明した時点で当然なされてしかるべきであった母屋木、垂木、ベニヤ板、トタン板の各残滓や切れ込み、本件庇裏側の状態等の詳細、綿密な実況見分もなされないままに起訴に至っている。さらに、同月一六日付調書により、本件火災当時被告人とともにいたA子が放火を否定する趣旨の供述をしたこともあってか、最も重要な立会人たるべき同人を立会わせるとの約束に反して、同人不在のままで焼跡の実況見分を行ったばかりでなく、右実況見分において、焼跡に水道用ホースが残存していたにもかかわらず、被告人及びA子の供述調書中には、右ホースについての供述は全くなく、ホースについて捜査が行われた形跡は認められない。これらの諸事情によれば、捜査官が、前記のとおりの予断を抱き、火災発生前の本件庇の状況や被告人の行動、それらと焼跡の状況との整合性等について問題意識を持つことなく、ひたすら被告人が放火をしたとの供述を得ることにのみ努力し、それに反する証拠には目をつむったままに、被告人らの取り調べを行ったものと推認される。

これらに加えて、被告人が本件による身柄拘束中の健康診断で、腰痛及び不眠を訴えており、高血圧及び肝肥大の持病があることが判ったこと、腰痛及び不眠については、一〇月二〇日、二七日、一一月五日の三回にわたり、睡眠導入剤及び外用湿布薬の処方を受けていたこと(司法警察員作成の平成六年七月一八日付捜査報告書、検察官作成の捜査関係事項報告書謄本及び太田順一郎作成の右回答書)から認められるように、取調べ期間中の被告人の体調が思わしくなかった上に、被告人が自己中心的、自棄的な性格を有し、他人に自分の思っていることを理解してもらおう、理解させようとする態度に欠けていることは、被告人の公判廷での態度からも窺えるものであるが、右被告人の体調及び性格等からするならば、捜査官から火災になる直前の庇の状況について具体的に聞かれることもなく、専ら放火したとの視点から追及された結果、自棄的な供述内容になったと推認することができる。

以上のとおりであって、被告人の捜査段階での供述については、到底これを信用することができない。

なお、被告人が火災当日昼間酒を飲みに行った酒店の経営者E子によれば、被告人が同席した客に対して「焼いたら、お金入る。」などと言っていたこと(同人の検察官に対する供述調書、公判供述)、被告人方南側に居住し、本件火災現場に駆けつけたBによれば、火災を車のそばで見ていた被告人が「ほっといてくれ、どうせ一人じゃけん長屋はいらんと思ってな、火を付けたんじゃけど、母屋に移ったんじゃ。」などと述べたこと(Bの公判供述)、さらには、捜査段階で被告人の精神鑑定をした医師Fによれば、被告人が「納屋を燃やすつもりであった。」と述べたこと(Fの公判供述)が認められる。しかしながら、E子の供述については、被告人の性格や飲酒の上の会話であることから、被告人の真意であるかどうか疑問がある上、誰の何を焼くのかという点がいっさい不明であること、Bの供述については、一方で、被告人が、「これ焼こうと思って焼いたんじゃねえんじゃけど、こねんなったんじゃ。」と言ったとの供述部分もあり、これによれば被告人が最初から積極的に納屋を燃やすつもりであったかどうかは不明といわざるを得ず、さらにFの供述についても、同人の当時の記憶が不確かであり、被告人の言い分を十分聞いていたかについては疑問が残る。

したがって、これらの各供述から、被告人の納屋及び母屋に対する放火の故意を認めることは不十分と言わざるを得ない。

5  以上、被告人が納屋や母屋に放火する意思があったとの被告人の供述やそれを推認させるその他の証拠はいずれも信用性に欠けるものであり、他に被告人が納屋や母屋に放火したことを認めるに足りる証拠はなく、結局放火の訴因については犯罪の証明がないことに帰する。

三  予備的訴因(重失火)について

被告人が廃材等を燃やしていた火が他に燃え移って、本件火災に至る経緯については、各目撃者の供述は次のとおりである。

被告人の公判供述によれば、被告人は最初火元から一メートル以上離れていたカッターの上の紙箱に火が付いたのを現認し、次に気付いたときには庇南半分の西側のまだ取り除いていないベニヤ板に火が燃え移っており、(第一三回公判調書の被告人の供述調書添付図面参照)、A子がC方から消火器を借りられずに被告人方納屋付近に戻ってきたころには、右紙箱付近の火が母屋北西部分にあたる物置の西側の明かり取りの窓から中に入りそうになっており、間もなく消火器を持って駆けつけたD子から「消火器が済んだ。(消火器の消火剤を使い切ったとの意)」と言われたころ母屋表側に出たところ、母屋東側の一番上の棟が燃えていたというのである。また、A子の公判供述によれば、同人がC方から戻って来た時に、庇の裏側のベニヤ板が燃えており、さらにその火が納屋についている垂木に燃え移り、次いで母屋と納屋の間を繋いでいるステンレスの雨樋にぶつかり、母屋と納屋の間にある電線にと燃え移って、母屋の中に火が入ったというのであり、D子の供述(同人の司法警察員に対する供述調書)によれば、同人が消火器を持って駆けつけた時には、納屋の北側庇付け根部分から納屋北側部分さらには母屋北西隅部分辺りにかけて炎が一メートルくらい舞い上がっていたというのである。

これらいずれの供述によっても、廃材等を燃やしていた火が移って燃え始めた場所は、その火元の真上や直近ではなく、一メートル以上離れている紙箱や、それとは反対の方向で、より遠くにあるベニヤ板であることが認められる。

検察官は「同所付近には紙片が散乱し、右トタン屋根の裏側にはベニヤ板やフェルト材が付着するなどして火が燃え移りやすい状態」にあったと主張するが、火元付近にはこれらの物はほとんど存在しておらず、かつ、火元付近の物に火が燃え移ったものでないことは、右認定のとおりである。

そして、なぜ、どのような経路で一メートル以上離れている紙箱やもっと離れているベニヤ板に火が燃え移り、紙箱の火が母屋に移ったのかがわからなければ、前記認定のとおりにホースで水を掛けていた被告人において、いつ、どのような注意を払えば本件火災を未然に防止することができたかを判断することはできず、本件においては、これらのことは、全証拠によっても解明されていないから、結局、本件は払うべき注意義務の内容すら具体的に特定できないということになる。

したがって、予備的訴因(重失火)は、一部その前提に誤りがあり、かつ、一部解明されるべき事実関係を欠落させたまま構成した内容空虚な注意義務とその違反とを主張するものというべきであり、ひいては被告人に対して実質的に結果責任を問うものとのそしりを免れない。

四  以上を総合すれば、主位的訴因(現住建造物等放火)については、被告人に納屋及び母屋を燃やす意思があったとは認めることができず、また予備的訴因(重失火)については、被告人に対して求めるべき注意義務の内容を具体的に特定することができないので、結局本件公訴事実については、いずれも犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 山森茂生 裁判官 近下秀明 裁判官 藤原道子)

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